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2009年8月 7日 (金)

緑茶豆知識 ~日本茶の偉人たち 前編

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今回は、日本茶の歴史の中で輝かしい偉業を成し遂げてきた偉人たちをご紹介します。日本茶の歴史とともに茶人の経歴や生涯を知ることで、緑茶にもっと興味をもっていただけるのではないでしょうか。

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      その前に・・・【お茶の起源は中国】

 

日本茶の偉人に関してお話する前に、まずは日本茶の歴史と密接な関わりを持つ、中国におけるお茶の発祥から解説させていただきます。

 

紀元前2740年頃の古代中国の王「神農(農業・漢方の祖)」の逸話の中に、“神農が野草を食べて効用を試していたとき、毒草にあたるとお茶の葉を食べて解毒していた”というエピソードがあります。この伝説から、お茶の発見は紀元前2700年頃と見られています。お茶発祥の地に関しては、以前「お茶の樹の品種のお話」で紹介させていただいたとおり、中国の雲南省などの中国西南地域とされ、唐の時代(760年頃)に陸羽(りくう)が記した「茶経」という書物の内容から、この説が有力とされています。また、漢の時代(紀元前1世紀)の医学書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」にも、お茶が登場しており、当時はお茶が「薬」として広く知られていた様子が伺えます。

 

Chakyo

 

 

 

 

 偉人その1 【日本初の茶畑をつくったとされる 伝教大師 最澄】

 

さて、わが国日本にお茶が伝わったのは、奈良・平安時代。今から1000年以上も前の出来事でした。当時、お茶発祥の地である中国は唐の時代。遣唐使として中国と交流していた留学僧は、お茶の種子や茶栽培の技術を、お茶の本場中国から持ち帰ってきました。このことが、日本のお茶の歴史のはじまりであると言われています。平安時代に留学僧として中国から仏典と共にお茶の種子を持ち帰った一人に、天台宗を開いた伝教大師・最澄(767-822)がいます。そして最澄にはタイトルにあるように、“日本に初めてお茶の樹を植えた人”、と言われています。その根拠となった文献はこちらです。

「日本における天台宗を開いた伝教大師・最澄(さいちょう)が、平安時代に唐より初めて持ち帰った茶の実をこの地(大津市坂本)に栽培し、それが日本の産茶の起源となった。」

(参考資料:昭和初期の茶業の発展と日吉茶園の保護を目的とした『献茶会趣意書』)

 

文献にある滋賀県大津市坂本の日吉大社境内には、現在も最澄がお茶を植えたとされる「日吉茶園」が残され、地元の人々によって大事に管理されています。1000年以上も前につくられた茶畑が、今もなお実在しているなんて本当に驚きですよね。

 

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           滋賀県大津市 日吉大社の境内にある日吉茶園。小さな面積

           茶畑ですが、日本茶の歴史の重みをひしひしと感じます。日吉茶

           園を訪れたときのレポートはこちらからご覧ください

 

 

 

偉人その2 【日本初の喫茶記録第1号 大僧都 永忠】

 

840年(承和7年)に書かれた「日本後記」という歴史書に、「815年、嵯峨(さが)天皇が近江の国(現在の滋賀県)に行幸した際、“梵釈寺(ぼんしゃくじ)”“永忠(えいちゅう)”が茶を煎じ、天皇にお茶を献じた」という記述が出てきます。これこそが、わが国最古の喫茶風景の記録とされている文献です。

 

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          滋賀県東近江市にある梵釈寺。史実の舞台となった梵釈寺は残念な

          がら戦乱などの理由で衰退してしまいましたが、現在の梵釈寺のご住

          職が、私をお茶で優しくもてなしてくださいました。梵釈寺を訪れたとき

          のレポートはこちらからご覧ください

 

815年のこの出来事は、前述の最澄が大津市坂本にお茶の樹を植えてから10年後のことでした。また永忠という人物も、最澄と同じく唐への留学経験がある人物です。現代に生きる私たちが気軽に日本茶を楽しめるのも、当時彼らのように命をかけ荒海を渡った人々の尽力の賜物と言えるのではないでしょうか。自然に感謝の気持ちがわいてくる思いがします。

 

偉人その3 【喫茶の習慣を日本に広めた功労者 栄西禅師】

 

時は移ろい鎌倉時代初期、1191年に臨済宗の開祖 栄西禅師(1141-1215)は宋の時代の中国よりお茶を持ち帰りました。その後記した書物が、茶の効用から製法などについて記した、日本最初のお茶の関連書と言われる「喫茶養生記」(1214年)です。冒頭に“茶は養生の仙薬なり。延命の妙術なり”と記されているように、日本でもお茶は、薬として貴族階級など身分の高い人々によって愛用されていたようです。

 

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この書によって日本の喫茶文化は大きく影響を受け、鎌倉時代末期以降に武士階級の間に「茶の湯」として急速に広まっていきました。また栄西は中国から持ち帰ったお茶の種子を佐賀県脊振山(せぶりさん)に植えています。その後京都の明恵上人(みょうえじょうにん)が栄西から種子を譲り受けて京都栂尾(とがのお)に蒔き、宇治茶の基礎をつくると共に、全国に広めていきました。これらの偉業から栄西禅師は、日本喫茶史上最大の功労者の1人と言われています。 

いかがでしたか?日本茶の発展に心を尽くした古の人々に思いをはせると、緑茶の味わいも一味違ったものになるのではないでしょうか。後日、今回の続編をお送りする予定です。楽しみにお待ちください!

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